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Voicyそなえるらじお #1061 タンボラ山の超巨大噴火から210年…火山の冬と食料危機の話

最終更新日:

執筆者:高荷智也

Voicyそなえるらじお #1061 タンボラ山の超巨大噴火から210年…火山の冬と食料危機の話

おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、4月10日(木)、本日も備えて参りましょう!

いつまでもあると思うな親とコメ

本日のテーマは「火山の冬」のお話です。

本日2025年4月10日は、210年前にインドネシアのタンボラ山が超巨大噴火を起こした日です。周辺地域だけではなく、地球全体に非常事態をもたらす火山の超巨大噴火とこれに伴う火山の冬、についてのお話をします。

1815年タンボラ山噴火

1815年4月10日、現在のインドネシア・スンバワ島にある活火山「タンボラ山」が超巨大噴火を起こしました。タンボラ山は1812年頃から噴火活動が観測され、1815年4月5日頃から大規模な噴火が生じていましたが、4月10日から翌日11日にかけて最大規模の超巨大噴火を生じさせました。

噴火により立ち上る噴煙柱は成層圏を貫き高度40kmに達し、1,500キロ先まで噴火の爆発音が聞こえたということです。タンボラ山から25キロ地点にあった村は、火砕流に飲み込まれて集落ごと消滅し、この火砕流は海まで到達して大津波を発生させました。

半径1,000キロの範囲で火山灰の降灰が観測されましたが、タンボラ山から500キロ地点にあった島では、3日間にわたり火山灰の分厚い雲の影響で、日中でも夜のような状態であったと言うことです。

噴火前のタンボラ山は標高4,000mの大きな山でしたが、噴火の影響で頂上部が吹き飛び、標高は2,850mと1,150mも低くなり、噴火の火口には直径6キロのカルデラが形成され、現在に到ります。この噴火は人類の有史以降でいえば最大規模の噴火となりました。

火山の冬と寒冷化

タンボラ山の超巨大噴火により、火山の周辺では致命的な被害が生じましたが、噴火の翌年1816年には地球規模での影響が生じました。火山の冬と呼ばれる現象による、世界規模での寒冷化現象です。

タンボラ山が超巨大噴火を起こした1810年代は、世界中で火山の噴火が相次ぎました。1812年にはカリブ海のスフリエール山と、インドネシアのアウ火山で噴火が、2013年には日本のトカラ列島にある諏訪之瀬島(すわのせじま)で噴火が、1814年にはフィリピン・ルソン島にあるマヨン山で噴火が生じ、そして1815年のタンボラ山噴火が史上最大規模で発生しました。

大規模な火山の噴火が生じると、大気中に火山灰や火山ガスなどが大量に放出されます。その中でも、特に二酸化硫黄が大量にばらまかれ、これが成層圏に到達しますと、硫酸エアロゾルという物質に変化し、これが太陽光を反射することで地上に到達する熱と光が減少し、日傘効果と言われる現象により地球全体の気温が低下します。これを火山の冬現象と呼び、超巨大噴火による二次災害として問題になっています。

1812年から1815年まで火山の噴火が相次ぎ、とりわけ1815年のタンボラ山噴火の規模が超巨大噴火であったことから、噴火の翌年1816年に大規模な火山の冬現象が発生したのです。地球全体の平均気温が1.7℃程低下したと想定されています。

1.7℃の温度変化はたいしたことの無いように見えますが、例えば地球温暖化が進む現在、直近100年間での温度上昇は0.77℃です。このわずかな温度変化で、氷河や南極の氷が溶け、世界中で異常気象が頻発しています。この2倍以上の温度変化がわずか1シーズンで生じるというのは、それもう気象がメチャクチャな状況になるのです。

ちなみに、最も直近で発生した火山の冬現象は、1991年にフィリピンのピナツボ火山の噴火で発生したものです。この時にも大規模な火山の噴火が発生し、2年後の1993年に低温化が生じました。日本でもお米が凶作となり、平成の米騒動が生じるなどの影響が発生しています。この時は世界で0.4℃の気温低下が生じていました。

なお、2022年1月には、このフィリピンのピナツボ火山の噴火と同じくらいの規模の噴火が、トンガ諸島のフンガ・トンガ・ハアパイ火山で発生しました。この際にも、火山の冬現象と大凶作が心配されましたが、この噴火が海底で生じたことなどもあり、寒冷化をもたらす二酸化硫黄の拡散がそれほど多く生じなかったため、2023年、2024年は過去で最も暑い夏になるなど、寒冷化と逆の方向に進んでいます。

わずかな気温の上昇下降が、深刻な異常気象をもたらすのです。

夏のない年

1816年は夏のない年と呼ばれています。例えばヨーロッパでは、1816年の8月に霜が発生し、農作物に壊滅的な影響をもたらしました。特に大きな影響を受けたスイスなどでは大量の餓死者が発生し1816年の死亡率は平年の2倍に達したという記録が残っています。

北米地域でも気温低下が生じ、ニューヨークの西にあるペンシルバニア州では、1816年の7月から8月にかけて河川や湖の凍結が生じたそうです。これにより、アメリカ西部への移住が促進されたという歴史も生じています。

中国…当時の清でも低温となり、南部の雲南省でも稲作が壊滅的な被害を受け、大規模な飢餓が発生しています。その他の地域でも夏場の雪が観測されていますが、台湾でも夏に雪や霜が観測された記録が残っているということです。

この影響は日本でも生じています。1816年は江戸時代の後期、文化13年ですが、全国的に冷夏や水害が重なり、東北地方や東海地方で凶作となり、年貢米の終了が激減した記録が残っています。ただ、江戸時代は定期的に飢饉が生じており、各藩の救援対策が整備されていたり、飢饉時に備えてサツマイモの増産体制が整えられていたりと、食料危機対策が行われていたことから、1816年の寒冷化では諸外国ほどの致命的な飢饉は発生しなかったようです。

食料危機はいつ起こってもおかしくない、ところが現代の日本はこうした事実を忘れ、大規模なお米の減反などをすすめ、結果として令和の米騒動という状況が生じています。続きのお話は次回です。

本日も、ご安全に!

本日は「火山の冬」のお話でした。

それでは皆さま、引き続き、ご安全に!

サイト管理者・執筆専門家

高荷智也(たかにともや)
  • ソナエルワークス代表
  • 高荷智也TAKANI Tomoya
  • 備え・防災アドバイザー
    BCP策定アドバイザー

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