Voicyそなえるらじお #924 時代を終わらせた大地震…戦国末期の「慶長伊予/豊後/伏見」地震見」地震
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執筆者:高荷智也
おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、9月5日(木)、本日も備えて参りましょう!
名前がカッコイイ中央構造線断層帯
本日のテーマは「慶長の大地震」のお話です。
地震国日本には、直下型の地震をもたらす要因となる活断層が、地面の下にたくさん埋まっています。その中でもとりわけ規模の大きな断層に、本州を東西に縦断する「中央構造線断層帯」と、本州を南北に横断する「糸魚川静岡構造線」があります。本日は前者、中央構造線断層帯で生じた地震のお話です。
慶長伏見地震
いまから428年前の今日、1596年(文禄5年)9月5日の深夜、現在の京都・大阪・神戸あたりに大きな被害をもたらす大地震が発生しました。慶長伏見地震の発生です。
この地震は、大阪府北部の北摂(ほくせつ)山地から六甲山地にかけて東西にのびている、有馬-高槻断層帯で発生した地震、マグニチュードはM7.5前後、京都・大阪・神戸の広い範囲で震度6以上の強い揺れが生じたと想定されています。ちなみに2018年に発生した大阪府北部地震も、この断層の一部で生じた可能性があると考えられています。
慶長伏見地震では多数の建物倒壊等が発生し、1000名以上の死者が生じたと推定されています。京都では多数の仏閣や大仏が被害を受け、また完成直後だった豊臣秀吉の居城、伏見城も倒壊し、多くの犠牲者が生じたということです。
慶長時代の大地震
さて、この慶長伏見地震は、同じ時期に他の大地震と一緒に発生しています。まず、1596年(文禄5年)9月1日に、現在の愛媛県で発生したと仮定されている大地震が生じました。マグニチュードは7前後、中央構造線断層帯の一部で発生したと想定されている大地震で、慶長伊予地震と呼ばれています。
さらに3日後の9月4日には、現在の大分県、別府湾を震源とする大地震が発生しました。マグニチュードは7前後、強い揺れ、津波、土砂災害が発生し、700名以上の死者が生じたと推定されており、慶長豊後地震と呼ばれています。別府湾周辺は断層が集中していますが、中央構造線断層帯の西の端でもあります。
そしてこの慶長豊後地震の翌日、9月5日に発生したのが、慶長伏見地震です。中央構造線で生じた地震による誘発地震とも推定されています。なお、この3つの地震のうち、慶長伊予地震については確実に発生したという確証がなく、伊予地震と豊後地震は同じ地震だったかもしれない、という説もあるそうです。
いずれにせよ、この時期に中央構造線上で大きな地震が相次ぎ、1956年の西日本は地震による大きな被害を受けていたことになります。ちなみに、これらの地震が発生した1956年9月は、暦で言うと「文禄」5年ですが、これらの大地震が相次いで発生したことで改元され、10月27日に「慶長」に改められました。
そのため、厳密に言えば慶長の地震は、文禄の地震なのですが、この改元の後も、1605年に南海トラフ地震のひとつと考えられている慶長地震が、1611年には慶長三陸地震が発生するなど、慶長時代には大地震が相次いでいることから、伊予地震、豊後地震、伏見地震も慶長で括られています。
大地震は時代に関係無くいつでも生じる、常に備えましょう。
本日も、ご安全に!
本日は「慶長の大地震」のお話でした。
それでは皆さま、引き続き、ご安全に!