Voicyそなえるらじお #933 台湾最大の震災「921大地震」から25年目に振り返る教訓
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執筆者:高荷智也
おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、9月20日(金)、本日も備えて参りましょう!
台湾の大震災
本日のテーマは「921大地震」のお話です。
集集大地震
明日9月21日は、台湾で発生した大地震「921大地震」からちょうど25年が経過する日です。近代台湾を襲った最大の大震災について、本日は触れたいと思います。
1999年9月21日の深夜1時47分、日本時間では深夜2時47分、台湾島のほぼ中央部で、マグニチュード7.6、日本の震度階級で7相当となる大地震が発生しました。発生した日付から「921大地震」、あるいは発生した場所から「集集(しゅうしゅう)大地震」などと呼ばれる、大震災の発生です。
台湾島は、日本と同じくプレートの境界上に存在するため、平時から地震が多い地域となっています。毎年の様に大地震が発生していますが、その中でも最大級の被害を生じさせた地震が、1999年の921大地震です。時期や被害の規模が近しい1995年の阪神・淡路大震災と同じような地震として扱われることもあります。
この地震は台湾島のほぼ中心部で発生したため、台湾の全域および沖縄でも揺れを観測しました。台湾の震度は日本の震度階級と同じ物が使われていますが、1999年当時は震度7の適用がなく、最大震度は6でしたが、状況から震源直上では「震度7相当」の揺れに見舞われたことが分かっています。
大きな被害
921大地震では強い余震も多く発生しました。地震の翌日と5日後に発生したM6.8の地震を最大規模に、地震発生から1週間以内に8回のM6以上の余震が発生し、被害を拡大しています。この結果、全体では死者・行方不明者2,400名以上、負傷者1万名以上、建物の全半壊8万棟以上という甚大な被害に発展しました。
地震の震源は、台湾の中心部、南投県(なんとうけん)の、集集鎮(しゅうしゅうちん)という地域でしたが、この地域は台湾島の中でも昔から人が居住してきたエリアで、耐震性の低い煉瓦造りの建物も多く存在し、大きな被害が発生しました。耐震性の弱い建物は大地震の直撃を受けるとひとたまりもない、ということが浮き彫りになった被害でした。
ただ、921大地震はマグニチュードが7.6と、2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震と同じ、極めて大きな直下型の地震であったため、揺れも相当に酷く、耐震性の高い建物にも多くの被害が発生しています。地震が発生した地域は山間部で地盤の良い地域も多くありましたし、鉄筋コンクリート製の建物やダムなども存在しましたが、こうした建物やダムにも被害が発生しました。
改めて、揺れが極めて大きい地震の場合は、地盤の善し悪しに関わりなく、耐震性の低い建物は全て崩れるし、耐震性の高い建物も条件によっては大きな被害を受ける、という教訓が得られています。
大地震を超えて
921大地震は、日本における1959年の伊勢丹台風、1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災の様に、様々な防災対策を推進させるきっかけにもなっています。
例えば921大地震が発生する以前、台湾の防災対策はどちらかといえば、災害が発生した後の救助活動や支援が重視されていました。しかしこの地震の被害で事前防災の大切さが広まり、毎年9月21日が、国家防災日に指定されました。日本でも1923年の関東大震災が発生した9月1日が防災の日になっていますが、台湾の場合はこれが9月21日ということなのですね。
台湾では毎年9月21日に、防災に関する様々な取り組みがなされて、921大地震を風化させず、教訓をきちんと後世に残すということがされています。さらに、公共施設の耐震性が大きく引き上げられたり、国内のレスキュー体制が強化されたり、災害救助犬の育成が推進されるなどの対応が行われました。
これらは、921大地震の際に、海外から多数の救助犬がレスキュー隊と共に入ったことがきっかけとされています。なお、921大地震で最初に現地入りした救助隊は日本のもので、積極的な救助活動などに当たったと言うことです。
本日も、ご安全に!
本日は「921大地震」のお話でした。
それでは皆さま、引き続き、ご安全に!