Voicyそなえるらじお #952 雪国仕様の家でも震源直上は壊滅的な被害...中越地震から20年
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執筆者:高荷智也
おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、10月23日(水)、本日も備えて参りましょう!
初めての震度7(機械測定)
本日のテーマは「新潟県中越地震」のお話です。
本日2024年10月23日は、2004年に発生した新潟県中越地震からちょうど20年目を迎える日となります。それまで地震が生じない地域と思われていた中越地域を襲った震度7の大地震、改めて振り返りたいと思います。
新潟県中越地震
2004年(平成16年)10月23日の夕方17時56分、新潟県川口町(かわぐちまち)現在の長岡市の直下を震源とする、マグニチュード6.8、深さ13キロ、最大震度7を観測する大きな地震が発生しました。新潟県中越地震の発生です。
この地震により、川口町で震度7を、小千谷市、山古志村、小国町(おぐにまち)で震度6強の強い揺れを観測しました。ちなみに川口町、山古志村、小国町は現在すべて合併により長岡市となっています。
中越地震の特徴は、強い余震が繰り返し発生したことです。M6.8・最大震度7の本震が発生したのが夕方17時56分、その15分後と38分後に震度6強の余震が発生、約2時間後には震度6弱の余震が発生しました。
都合、地震発生から2日の間に、震度7が1回、震度6強が2回、震度6弱が1回、震度5強が6回、震度5弱が5回と、短時間の間に極めて強い揺れが連続して発生しました。地震発生から4日後にも震度6弱の余震が生じるなど、とにかく本震の後に強い揺れが起こり続けたことが特徴です。
中越地震の12年後、2016年には熊本地震が発生していますが、この地震でも震度7の地震が2回発生したことを含め、短時間に強い揺れが連続して生じています。震度7が2連続は想定外でしたが、強い直下型の地震が連続するというのは、中越地震で生じていた教訓であったと言えます。
建物被害
中越地震では強い揺れが繰り返し発生したため、多くの建物に被害が発生しました。新潟県全体では、3,175棟の建物が全壊、11万8千棟以上の建物が被害を受けています。9年前に生じていた阪神・淡路大震災では、神戸市内だけで6万7千棟の建物が全壊、5万5千棟の建物が被害を受けていましたが、これと比較すると小さな被害に見えます。
ところが問題は被害を受けた建物の割合です。被害の集中した地域は、震源直上となった川口町と小千谷市です。その中でも最大の被害を受けた川口町には当時約1500世帯の住民の方が暮らしていましたが、そのうち606棟の住宅が全壊、146棟が大規模半壊、344棟が半壊、297棟が一部損壊…町内の住宅の4割が全壊、9割以上が被害を受けるなど、壊滅的な被害を受けました。
中越地震が発生した地域は、日本でも有数の豪雪地帯です。これは言い換えれば、地球上でも有数の豪雪地帯と言えます。そのためもともと建物などが雪国仕様で頑丈に作られており、新潟県全体の建物被害で言えば、地震の規模と比較して少ない被害であったと言えます。
しかし震源の直上では4割の住宅が全壊、9割の建物に被害が生じるなど、雪国仕様だろうとなんだろうと、大きな地震の直撃を受ければメチャクチャな被害を受けるのだということが分かります。これと同じような被害は、同じ雪国であった能登半島でも2024年の元日に発生しています。
ただ、ここで注目すべきは、この建物被害は震度7が1回、震度6強が2回、震度6弱が2回発生するなどした、一連の余震活動の後の調査結果だということです。
死者は確かに少なかった
中越地震による死者は、新潟県全体で68名です、このうち76%に当たる52名は、地震の後の被災生活で命を落とされた「震災関連死」による犠牲者であることが分かっています。近年の震災では、地震の揺れ・津波・火災などによる直接死よりも、間接死による死者の方が多くなることもあり、その先駆けとなったのがこの中越地震だったのです。
ところで、住宅の4割、606棟の建物が全壊した川口町では、直接死・間接死合わせて6名の死者が生じました。これは、数字の上では極めて少ない数字であったといえます。先ほどの例ですが、阪神・淡路大震災では神戸市内で6万7千棟の建物が全壊し、死者は4千5百名以上に登っています。
建物倒壊が生じると、直接的な被害はもちろん、津波や火災等からの避難行動もとれなくなるため被害が拡大します。単純な計算ですが、阪神・淡路大震災における建物倒壊死亡率は6.7%と極めて高い数字ですが、中越地震で最悪の被害を受けた川口町の建物倒壊死亡率は1%と、ずいぶん低い値になっています。
雪国の建物は頑丈だから、死者が少ないという言い方もされていますが、実際に多くの建物がつぶれた地域においても死者が少ない、これはなぜなのでしょうか。
アンケート結果より
中越地震の後に、被害の大きかった川口町と小千谷市の住民を対象とした、大規模な地震アンケートが行われました。このアンケートで、揺れている最中の行動について尋ねていますが、川口町の住民の場合は、43%がその場でじっとしていた、30%が全く動けなかった、25%が屋外に飛び出した、という結果になっています。
さらに、地震発生当日の夜、どこで過ごしたかを尋ねた質問では、全体の57%が車の中、35%が屋外・納屋・車庫・ビニールハウスなど、逆に自宅に留まった方は1.8%となっています。自宅以外に避難した理由としては、54%の方が「余震で家が潰れると思ったから」と回答、43%の方が「自宅が壊れて中に入れなかったから」と回答しています。
さて、これらのアンケート結果と、繰り返し生じた余震の状況から、ひとつのイメージが浮かんできます。あくまでも私の個人的な仮説ですが、震度7の本震直後はまだ建物が傾きながらも建っており、その後の繰り返しの余震で残っていた建物が次々につぶれた。しかし余震を恐れて多くの方が屋外で夜を過ごしていたため、人的な被害は最小限ですんだのではないか、と言う仮設です。
これは雪国による建物の頑丈さがきいていた可能性があります。とにかく地震の揺れの1回目をやり過ごすコトができれば屋外に避難ができ、余震が続いてもそのまま屋外にいれば命だけは助かる、という図式です。ただ、これでは命は助かっても他の全てを失ってしまいますので、やはり究極的には、耐震等級3の住宅に住むことが重要であると言えます。
ちなみに、耐震等級は積雪を考慮して設計する必要があります。20坪程度の広さの屋根に雪が積もると、積雪1mで30トン、積雪2mでは60トンに達し、この状態で強い揺れに見舞われると大きな負荷がかかるためです。特に戸建てで耐震等級3の設計を依頼する場合は、積雪が何メートルの想定なのかをかならず確認してください。
本日も、ご安全に!
本日は「新潟県中越地震」のお話でした。
それでは皆さま、引き続き、ご安全に!