Voicyそなえるらじお #690 ゴミ戦争は永遠の課題、ゴミ袋の日常備蓄で非常時への備えを!
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執筆者:高荷智也
おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、9月28日(木)、本日も備えて参りましょう!
貝殻はゴミなのか
本日のテーマは「ゴミ戦争」のお話です。
- いまから52年前の本日、1971年9月28日、当時の東京都知事、美濃部亮吉(みのべりょうきち)知事がある宣言をしました。これが、東京都における「ゴミ戦争」宣言です。
貝塚
- 人の営みある所にゴミあり。
- 歴史的なお話においては、古代の人類が貝殻をはじめとする廃棄物をまとめていた場所、貝塚があげられます。日本列島全体では、縄文時代の貝塚が全国で2500箇所ほど発見されているそうです。
- ちなみに貝塚が最も多いのは、東京湾沿岸ということですが、これは東京湾沿岸に特に縄文人が多く暮らしていた訳ではなく、単にこの地域における土地活用が多いため、結果的に多くの貝塚が見つかっているということです。
- そんな縄文時代から数千年が経過した現代、ゴミの量や種類は飛躍的に増加し、ゴミ問題というべき状況になっています。
東京ゴミ戦争
- 東京のゴミ問題は江戸にさかのぼりますが、江戸時代の頃から、東京のゴミの埋め立て場は一貫して東京湾、現在の江東区周辺でした。
- といっても江戸時代は、世界有数のリサイクル社会であったため、最終的に埋め立てるゴミの量もたかがしれていた訳ですが、文明化が進むほどゴミの量は飛躍的に増加します。
- とりわけ、戦後の高度経済成長期を迎えると、従来とは比較にならないほど大量のゴミが排出されるようになりました。当時はゴミの焼却もそれほど進んでおらず、またゴミ袋に入れて個別にゴミを出すという仕組みもなかったため、生ゴミを満載したトラックが、東京中から江東区にある埋め立て地まで、毎日大量のゴミを運んでいたわけです。
- そしてそのゴミは、焼却されずにそのまま埋め立てられて行きましたので、江東区周辺はすさまじい悪臭、ゴミによる火災、ゴミトラックによる渋滞、そして尋常ではない規模のハエの大量発生が問題になっていました。
- そこで東京都では東京23区全体にゴミの焼却工場の建設を決めて、1950年代後半から、各地に清掃工場の整備が進められました。しかし、ゴミ工場といえば、必要ではあるものの、我が家の近所には欲しくない施設の筆頭ですから、なかなか建設も進まず、江東区にある埋め立て場には、長い間生ゴミが大量に運ばれ続けました。
- この状況のなか、1971年9月28日、東京都のゴミ問題を改善するという決意表明という意味合いで、当時の美濃部都知事から「ゴミ戦争」の宣言が行われ、ゴミ焼却場の建設が強く進められるようになったということです。
- ちなみに現在東京都のゴミは、各地のゴミ焼却場で圧縮された後、東京湾、羽田空港の東側にある「新海面処分場」という埋め立て地に運ばれ、埋め立てたが行われています。現在のペースでは、この埋め立て地が満タンになるまで50年ほどの期間が見込まれていますが、50年先は意外とすぐです。
- 人が生活すればゴミが出る、最終処分をどうしていくかは、終わらない課題として取り組み続ける必要がありますね。
ゴミ袋の備蓄を
- ということで、非常時にもゴミ問題は生じます
- 非常用トイレ、備蓄食などのパッケージ、食事の液体
- こうしたものを一時保管するために、ゴミ袋の日常備蓄をしておきましょう。
本日も、ご安全に!
ということで、本日は「ゴミ戦争」のお話でございました。
それでは皆さま、本日も引き続き、ご安全に!