Voicyそなえるらじお #126『50年間隔の大地震、1905年の芸予地震』
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執筆者:高荷智也

おはようございます!備え・防災アドバイザー高荷智也がお送りする「死なない防災・そなえるらじお」、6月2日(水)、本日も備えて参りましょう!
大本営発表
本日のテーマは「大地震」です。
1905年芸予地震
- 本日6月2日は、116年前の本日に「芸予地震」が発生した日です。
- 1905年(明治38年)6月2日、お昼を過ぎた14時39分、瀬戸内海、広島県呉市に属する倉橋島(くらはしじま)の南を震源とする、マグニチュード7.2の大地震が発生しました。
- この地震により、広島県呉市およびその周辺と、愛媛県の北部・高縄半島(たかなわはんとう)周辺、現在の松山市などは、震度5から6の強い揺れに襲われ、多くの建物の倒壊に加え、堤防・橋・鉄道・水道などのインフラやライフラインにも大きな被害が発生しました。
- 震源地は海、周辺の島の多くは地盤の固い花崗岩の大地であったため、被害の多くは地盤の緩い広島市や、埋め立てが広がっていた呉市などに集中したそうです。
- また、死亡者は全体で11名と発表されていますが、この地震の被害報道についてはひとつ問題…といいますか、考えるべき点があります。
日本海海戦
- 明治38年と言えば、日本とロシアが戦った、日露戦争の後半です。
- とりわけ、この戦争の行く末を決定づけたと言われる、日本海軍の連合艦隊と、ロシア海軍のバルチック艦隊が決戦を行った、日本海海戦が行われたのが、5月27日から28日にかけてのことでした。
- この海戦は、日露戦争最大規模の艦隊決戦で、連合艦隊が史上希に見る大勝利を収めたことで、ロシアとの和平交渉を行うきっかけを作りました。
- 1905年の芸予地震は、この日本海海戦の4日後に発生しており、しかもその被害の中心地は、日本海軍の最重要拠点のひとつ、呉鎮守府でした。
- そのため、当時の報道機関は、直前になされた戦争による華々しい勝利報道を重視し、また海軍の重要拠点の被害状況は軍機に該当するため、詳細な報道は避けられ、この芸予地震に関する報道そのものが、あまり多くされなかったということです。
災害報道
- 災害発生時の報道は、時間と共に正確になります。
- 現在はスマートフォンとモバイルによるインターネットが普及していますので、どこかで災害が発生した際には、SNSなどを通じて瞬時に被害の状況が伝えられるようになりました。
- しかし、スマートフォンや携帯電話が普及する前は、マスコミの報道が被災地の状況を詳細に知る唯一の手段であり、
- とりわけ大きな災害が発生した際には、被害の全貌が明らかになるまで時間を要することも多くありました。
- 1995年の阪神・淡路大震災なども、早朝の発生であり、かつ現地が壊滅状態に陥ったため、外部からマスコミが現地入りするまで、いったい何が発生したのかがよく分かっていませんでした。
- 2011年の東日本大震災にしても、緊急地震速報が発表されましたので、なにやら巨大な地震が発生したことはすぐに分かりましたが、地震の大きさが地球規模でも最大クラスのマグニチュード9であり、太平洋沿岸全域が津波に襲われる寸前で、あまつさえ原子力発電所が大変な状況になりつつある、と分かったのは少し時間がたってからです。
- ましてや1905年の芸予地震が発生したのは明治時代です。
- ラジオの全国放送が始まったのが1925年・大正14年と、この地震の20年もいあとのことですから、新聞に掲載される内容が唯一の情報源、いわゆる大本営発表を信じるしかなかった時代に地方の災害のことを知ることは、なかなか難しかっただろうなと思います。
- 大規模災害時、被害の報道が少ないのは、実際に被害が小さかったからではなく、被害が大きすぎて情報が上がってこないため。ということもしばしば生じます。災害発生を受けて行動を起こす際には、できるだけ正確な状況をつかめてからにするべきです。
芸予地震は固有地震
- なお、芸予地震のお話は、そなえるらじおの #80 回目の放送でもいたしました。これは、2001年3月24日に発生した、最近の芸予地震の話です。
- 芸予地震は、プレート境界で発生する固有地震であるため、定期的にまた発生します。
- 広島と愛媛周辺の海域では、
- 1857年に伊予灘(いよなだ)で大地震が、
- 1905年に安芸灘(あきなだ)で大地震が、
- 1949年に斎灘(いつきなだ)で大地震が、
- そして2001年に安芸灘(あきなだ)で大地震が、
- やく50年間隔で定期的に大地震が発生していますので、
- 今から30年後、2050年前後に、同じような大地震が発生する可能性が高い地域と言えます。
- ただし、この海で生じる地震以外の、直下型地震は、いつでもどこでも発生する可能性があります。広島・愛媛周辺の大地震は、2050年まで起こらないから安心だ、ではなくて、
- 2050年前後ではかなり高い確率で大地震がくるし、それ以前にも、なんならこの瞬間に、大地震が追加できてもおかしくないから、準備をちゃんとしましょうね。
- という意識を持つことが重要です。
本日も、ご安全に!
ということで、本日は「1905年の芸予地震」のお話でした。定期的に大地震が来る地域、その狭間の時間帯に生きていると大地震への警戒が薄れますが、地元の災害史をよく知ることで、意識を高めて行くことは、とても重要なことですね。
それでは皆さま、本日も引き続き、ご安全に!